なぜ、同じ誕生日なのに同じ人生とならないのか~ブループリントの謎を探る

Takako です。さて、前回の記事では魂のブループリント~Star Soul Mapをご紹介させて頂きました。こちらは、陰陽五行・森羅万象に基づいた中国古来の学問をベースにした、生年月日から算出する星占いなんですよ。

占いといえば、わたしも、30代くらいまでは四柱推命などの本を読んだり、実際に当たると評判の占い師を訪ねたりしました。が、今、振り返ってみると、どれも大したことはなかった(当たらなかった!)という想いが込み上げます。そう、ハッキリ言って、未来の細かいことについて当たろうが当たるまいが、どうでもいいこと。だから、わたしはこの占いで、運気や運勢は観ないことにしています。何というか、運命は変えることができると信じているから。

言い換えれば、自分で切り開き、自身を他者との関係の中で磨き、成長していくことがわたし達みんなの使命だと考えているのです。だから「わたしはこの先どうなるのでしょう」という、他人任せじゃなくてね。「わたしはこれからどうしていきたいか」と考えることができること。その自由さや、そのための選択肢も用意されている時代に生かされていうわたし達は恵まれていると思いませんか?さて、そんなわたしがなぜ、「ソウルスターマップ」を提供するのか。それは「自分という宿命を知ることで、これからの人生が生きやすくなる」から。そして、わたし自身はもちろん、皆さまも一度や二度は「なぜ、同じ誕生日に生まれた人たちなのに、こうも性格や生き方が違うのか」という疑問を抱かれたことがあるかと思います。本日は、それを明快に解明されている、とても興味深い専門家の方のブログから、以下、ご紹介させて頂きます。

宿命を消化することの意味

ポジティブなものにしろネガティブなものにしろ、こうした諸事象を人生でこなしていくことを、算命学では「宿命を消化する」と呼びます。判りやすく喩えるなら、生まれた時に食卓に並べられた献立は決まっており、どれから手を付けてもいいけれど、死ぬまでに完食することが求められている。嫌いだからとピーマンやニンジンを除けて残すことは許されません。全部食べないことには宿命を全消化したことにはならないのです。なぜなら嫌いな食べ物にも滋養があり、それを食べなければ栄養が偏っていびつな人生・人格になるからです。
 もし死ぬまでにピーマンやニンジンを遂に食べなかったり、満腹のはずなのにおかわりを食べてしまうと、宿命消化の不足と過剰は、次の世代のツケとして持ち越されることになります。一番影響を受けるのは子供か次の孫の世代です。大体この三世代のうちに結着するというのが算命学のセオリーですから、先の戦争を経験して生き残り、しかしその凄惨な記憶に封をして経済発展に邁進した世代から数えれば、その子供の世代が団塊の世代で、更に孫の世代が宮崎勤や酒鬼薔薇少年Aということになります。日本社会全体がピーマンやニンジンを食べずに甘いお菓子や肉ばかり飽食したツケが、社会全体のいびつな病巣と化したという図式は、何となく理解できるのではないでしょうか。

特殊な命式は、特に羨むものでもない

特殊な命式と申しましたが、特殊な命式の人が特殊な人生を送る、という安易な飛びつきは危険です。前回までのピーマンとニンジンの喩えのように、宿命を食卓に並んだ献立と見立てるなら、どの皿から手をつけるも、お替りするも、食べずに残すも、本人の自由です。
 生年月日が同じ人はこの世にゴマンといますが、一人として同じ人生にならないのは、そのそれぞれが好みの順番で皿を手にし、好みのソースや塩を振り、苦手なものを後回しにし、逆に最初に食べて好物を最後にとっておき、猫舌ならスープは冷めるまで待ったり、生肉でうっかり食中毒に遭ったり、紅茶に砂糖を入れ過ぎて口内炎になったり、自ら創作料理を作り出したり、テーブルマナーを守ったり守らなかったり、誰かに分け与えたり横取りしたり、と数え切れないバリエーションで食事に挑んでいるからです。楽しく栄養豊かな食事にできるかどうかは本人の裁量に懸かっており、食卓にのぼったメニューの差は実際には大してないのです。この場合の本人の裁量とは、生き方のことです。

仮に人が羨むような特殊な命式であったとしても、一般的解決法が当てはまらないという弱点を考えれば、往々にして状況は不利になります。喩えるなら、特殊な命式というのは、例えばキャビアの缶詰がポツンと皿に載っているようなもので、どうやって開けるのだろうと青くなっていると、後ろを給仕が通りかかったので缶切りを所望したら運よくすぐ持ってきてもらえたとか、確かに他のテーブルの人たちはキャビアを見て羨ましいと思うかもしれないけれど、缶切りがなければ食べられないじゃないかとか、パンとバターも欲しいとか、栄養価はどうなのとか、実は魚卵アレルギーだとか、余人が思いもよらぬ基本的なところで苦悩していたりするものです。もしかしたら、給仕は通らず、近くに缶切りも見当たらず、5キロ離れたホームセンターまで買いに走らなければならないかもしれない。その間に食事の時間は終わってしまうかもしれません。

食事をするのは本人

しかし何より重要なのは、結局のところ食事をするのは本人であり、本人の意志がなければ何事も消化されないということです。やる気のない人に食事を勧めても意味がありません。胃ろうでもして生かしておくのでしょうか。どんな宿命であろうとも、本人にやる気や努力がなければせっかくの食事も台無しです。調理済みでただ食べるだけのフルコースを前に好き嫌いを論じている人と、缶切りを見つけてこれで缶詰が食べられると喜ぶ人とでは、経験値がまるで違います。メニューの優劣すなわち宿命は、問題の一部分にすぎません。肝心なのは、いかに食卓で充実した時間をすごし、滋養を取り入れ、最後にご馳走さまでしたと感謝の言葉が出て来るかどうかなのであり、こここそが普遍的な意味での幸不幸の分れ目なのです。

Takakoの結論

わたしは、とあるSNSで自分のキャッチフレーズを”Life is dance. I am the dancer”(人生はダンス。踊るのはわたし。)としているのですが、同じような喩えをこのブログの主さまも書いておられました。以下、引用です。算命学に置き換えると、楽譜が宿命、演奏される音楽が人生ということになります。人生のスイッチをONにするのは、やる気や努力、周辺環境やタイミング、経験の蓄積といったところでしょうか。それを左右しているのは、演奏者である自分です。そしてスイッチをONにできなければ、その楽譜は宝の持ち腐れに終わるのです。~引用終わり~ つまり、人生には良いこともあれば悪いこともある。自分にとって都合のよいことが起これば慢心し、苦痛や葛藤といったネガティブなことはスルー、では授かった魂の目的を受け入れることにはなりません、よね。ポジもネガも同じように取り組むことでこそ、人は磨かれていくものだということを、いつも頭の片隅に置いておきたいものですね。

本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。

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