Takako です。2017年も過ぎてみればあっという間の怒涛の1年でした。今日の大晦日も残すところ数時間となりましたね。

皆さまにとってはどんな1年だったでしょうか?

わたしの個人的な2017年は、2016年から続いてきた自分自身の何かや人間関係、モノへの手放しが半端なく起こった年でもありました。なんというのでしょうか、ある日突然「もういいかな」と感じるのです。もちろん、そこへ行き着くまでには色々葛藤もあるわけなのですが、保ち続けるか手放すかの分岐点は自分の中の違和感と向きあって、そして俯瞰して、それがどれだけ自分にとっての真実かを見極めるところにあるのではと思います。

違和感というのは、ほんの僅かな小さなほころび。見過ごしてしまっていいような気もするけれど、でもやっぱり見過ごせない何か。どこをどう突いてみても、やっぱりこれは違うよね、と。コットンのしっくり、ほんわりする感触にいつも包まれていると、合成繊維のトンガリ加減がひどく気になって、終いには脱いでしまうような。そうやって自分に合うものばかりが集まってくると、”違うもの”は分別し易くなります。そしてその感覚を磨いて行くと、お別れは神様のほうで決めてしまわれるもの、と頭ではなく心から納得せざるを得ないことがわかってきます。

さようならは辛いです。好きだった友達。楽しかった仲間。良く行っていた場所。
あんなにも仲良くしていたのに。あれほどお世話になったのに。

けれどそれらの大切な煌めく時間はもう戻らない。

それならばお互いを心から慕っていた頃の思い出や感謝の気持ちは一杯のまま、それぞれの道を進むほうが幸せというもの。

全てのことには意味があり、一見するとネガティブなことも何か忘れていることを気づかせてくれるものです。また、出会う人それぞれに対してお互いにお役目というものも確かにあり、学びが終われば離れて行くのが自然の理。物や出来事も然り。

違和感を大切にすると、自分の中の不要な思考や余計な行動が見えてきます。そしてその結果、本当に大切な人々とは楽しく充実した時間を過ごせています。はい、まだまだ、勝手な思い込みで自分の中では常識となっているけれど、実は見直したほうがいいことなど、まだそれらを認識していないため、手放しに至っていないこともたくさんありそうです。がそこは今後の成り行きにて、目からウロコが落ちるのを楽しみにしています。

「なんだか違う」とセンサーが感じたことはきっと正しい。そして、それが自分さえ良ければ、の独りよがりではなく全ての人々の愛と幸せに繋がりますように。2017年も一言「楽しい修行」でした。そして2018年、皆さまとわたしに、更なる魂の進化が祝福と共に訪れますように。