Takakoです。台風25号が通過するなか、友人と六甲山系を訪れました。ケーブルカーを降り立つと、そこはすでに濃霧の世界。
それでも、周遊バスでまずはお目当ての六甲高山植物園へ。雨は止んでいたけれど、枝や葉に蓄えられていた雨粒が時折ザーッと通り過ぎます。霧と植物たちの歓迎で、素敵な写真(ちなみに画像加工はしておりません)を想い出に残すことができました。山の神様もにっこり「よく来たね。」と。ミディアム的に言いますと、あちらの世界へ続く分岐峠でもあるような。
この、いわば荒天のなか、まるで敢えて選ばれたかのようにわたし達を囲む小さな林。それはあくまで背景として映えているものの、確かな生命をもって、或いは意図をもって、この瞬間を静止させる。「節目」という言葉が、どちらからともなく語られる。まさに、わたし達それぞれに与えられるべくして与えられた、変容するエネルギーの象徴。また、ここから始まる、それぞれの道。新たな季節の到来を迎える、静かな歓喜にも喩えられるような満ち溢れる感覚。言葉に落とし込むことができない、儚き夢。それらを存分に味わい、次の目的地である【風の教会】へ向かいました。
こちらは建築家の安藤忠雄氏の手によるもので、丁度開催されていた「六甲ミーツ・アート芸術散歩2018」のアート作品展示のひとつとして特別に開館されていました。
そして、この作品のタイトルは “absent” 。愛用のオンライン辞書『英辞郎On the web Pro』を改めて引いてみると、形容詞としては 1.[いるべき場所に]いない、不在の、留守の 2. [あるべきものが]ない、欠けて(※このコンテクストに合致しそうな意味だけを記載しています。)とのことです。この語の反語は “present”(在る、居る、現在の)です。この二つを対照させると、正にいま、わたしが焦点を合わせていることそのものだ、というシンクロに気づきました。聡明なる友人は、これを自身と照らし「喪失」的だと呼びます。
わたしの場合は、「喪失」と言うより「不在」。失くしてしまった、という完了形ではなく状態として【欠けている】もの。失くしたのではなく始めから「無い」もの。 その、カタチのないものを出来る限りあらゆる角度から考察してなんとか可視的にもっていこうとするわたし。それを明確に認識した時から変容のプロセスが始まる…absentはそのことを伝えるサインであり象徴でもあり、そしてこの、自分を探索する一見辛くて面倒な作業が、何よりわたしへの祝福なんだと信じています。霧と山、神と友に感謝を。
本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。