火の浄化と同期する、奥高野 荒神社

Happy Medium Takakoです。高野山はわたしの魂のふるさと。アクセスしやすいこともあり、もう30回はゆうに超えるリピーターなんです。いつもはお大師様に呼ばれるまま、奥之院だけふらりと訪ねているのですが、今回は少し足をのばして雲の上の社・荒神社(立里荒神)(こうじんしゃ/たてりこうじん)を目指しました。荒神社は、高野山駅から要予約の急行バスで約1時間。しかもよくあるようにバスの運行は1日2便のみと、直ぐ行けるようで中々行けない場所です。以前バスの予約をしようとしたところ、満員で断念した経緯もアリ。

エントランス付近。食堂や参籠所(宿泊施設)が設けられています。(旅のリンクなど、プチ情報は記事最後に掲載しています)

高い山のてっぺんに鎮座されているお社まで続く鳥居のトンネル。かなり長いです。登りながら黒いマリア像で有名な、スペインのモンセラットを想い出しました(逆にモンセラットでは高野山を想い出していました。😅)。いずこに於いてもひとは、高みの中に聖なるものを求めるものなのでしょうか。

到着しました!こちらはお供え物も完全ヴィーガンとされているとのこと。霧雨でより一層、神神しい気配が醸し出されて荘厳。

荒神社の御祭神は、「火産霊神ほむすびのかみ」古事記では「火之迦具土神」(ひのかぐつち)とされています。母神のイザナミがこの神を産んだ際に大火傷して命を落とし、怒った父神のイザナギに斬られてしまいましたが、ここでこうして祀られています。もう一柱は「譽田別命ほんだわけのみこと」で、応神天皇とのことです。

拝殿は、少し変わった造りで、建立以前からあった神木を切ることなくひさしを丸く繰り抜いて大切に扱っておられ、とても素敵でした。ここに至るまで、鳥居の階段ですれ違う方は数名いらしたのですが、お詣り時は社殿に一人きり。なんて贅沢、とほくそえみつつご挨拶をしていたら何やら背後にがやがやと聴こえたので(全くひとの気配なかったのに?)と思いつつお祈りを早々に切り上げて振り向くと、誰もいません…。気のせいかと想い、この後、摂社「五社神社」にもお詣りしました。こちらのご祭神は大山柢命おおやまづみのみこと、保食命うけもちのみこと、市杵島姫命いちきしまひめのみこと、素盞鳴命すさのおのみことです。…すると、又もや背後で何だかがやがやと。そのため、お祈りを早く切り上げて振り返ると…誰もいません!!!確かに気配がしたのに!…記憶をたどると、左肩方面から、複数の男性っぽい声がするのですが、何を言っているのかまではわからず、声のトーンもどのくらい、という基準に合わないのです。…かといって、いわゆる邪気というか、いやな感じもなく。乱読につき、どの本かはちょっと特定できないのですが、きちんとした(多分、アラン・カディアック著、近藤千雄さん翻訳あたりの)本に”低級霊”や”未熟霊”という記述があったのを思い出しました。が、それとも少し違うように感じたのは、人間界の「普通の人びと」に対応する「普通の(人間ぽい)霊さんたち」な印象だったから。まるで、おのぼりさんのツアー客たちが『へえ〜、ここですか。ご利益あるのかな。じゃあ、お詣りしないとね。』と出てきただけ、みたいな。2回とも振り向くと黙ってしまいましたが、きちんとお詣りされたのでしょうか。神域の中なので自分の感覚もちょっといつもとは違っていたようで、それを特に怖いとは思いませんでした。また、何となくですが自分にご縁があった方たちというより、たまたま居合わせただけ、という感覚を得ました。それにしても、おそらく善男善女であろう霊さんたちに遠慮して(いや、それでよかったとは思いますが!)お祈りが短くなってしまったことがとっても残念。

境内には看板がありました。原文通り書き写していますが、読みづらい…。

『三宝大荒神略縁起(荒神社御宝物写)』より
大和国吉野郡池津川の南に当りて海抜四千二百余尺の高峯荒神ヶ岳という所に三宝荒神の御社あり。本地は阿弥陀如来ましまし当所の鎮守なり。
抑も当社の由来を尋ぬるに弘法大師御勧請の霊神と申伝うるなり。
往昔人皇五十二代嵯峨天皇御宇弘仁七年、大師高野山伽藍を開基し給う思召にて初めて御登山これあり。今の檀場にて地鎮の法を修行し給う時、俄かに天地振動し東の方より黒雲たなびき其中に異類異形の夜叉神顕われて大師の御建立を妨げんと種々の障碍をなしければ、大師暫く修法を止め、汝は何者ぞと問い給う。夜叉答えて曰く我はこれ荒神ヶ岳に住む神也、我別に神体なし、汝は則一切衆生本有倶生障(しゅじょうほんうぐしょうく)の惑貪瞋痴(わくどんしんち)の三毒にして一切衆生の善根功徳を障うる神なり我に九億九万八千五百七十二神等の眷属ありて、衆生の悪業力に因って、彼の眷属を不信心の家に遣し日々に七難を起し夜々に七福を滅して貧窮無福の人となさしめ、一切の善事を障うるなり。若し衆生有て、勇猛精進にして種々の供具を備え、一心に我を祭らば速に本に帰し三宝荒神と現じ一切の障碍悉く消滅し一切の諸願立所に満足せしめん、七難即滅七福即生は我第一の誓願なり、汝先我を供祭せば必ず大願成就すべしと云えり。
 依て大師無二の信心を凝し一枚の板に三宝荒神の御像を画きて本尊となし、一七日の間荒神供を御修法ありて、伽藍繁栄、密教守護の祈誓をなし給うて、檀上の鬼門に荒神の社を勧請あり。而して後に大伽藍を御建立ありけるに何の障もなかりき、故に大師御一生の間は、毎月当山にご参詣ありしとぞ。
 其後第二祖真然僧正を始めとして、代々の高僧各意願ある方々は参詣ありけるに諸願満足せざる事なし。
 日々夜々に参詣し願にまかせて求願すなわち、成就すれば神威霊光日々に新たなり。
他の悪疫流行或は水難火難等の消滅を一心に祈願する時は霊験忽ち著わるゝことは世人の能く知る処なれば委しく記さず。近畿各地方より参詣の客四時続々として断ゆることなし、随うて遠方の参詣人は参籠すべき設備あり。

 帰りのバスの時間まで余裕があったので、何と生まれて初めて”ご祈祷”をしていただきました。食堂もまだ新しく清潔できれいでしたし、同じ建物に参籠所(宿泊施設)もあって、一泊二食付きで7000円と書いてありました。修験者でなくても利用できそうなのでいつか宿泊したいような気がします。

台風21号が接近する中、お大師さまのご入滅日、自分の誕生日とトリプル21のマジックを期待して、普段であれば絶対出かけない雨のなか、研ぎ澄まされ、削ぎ落とされ、余計なものを全て取り払われたような浄化感を得ました。なんといっても火の神さまですからね。護摩行はもちろん、ヒンドゥー教のアグニ、ゾロアスター教の拝火主義、そして忍者も火遁の術を使ったということです。振り落としたいものがあってもなくても、高野山へお出かけの際はぜひ、立里荒神まで足を伸ばされてはいかがでしょうか。本日もお読みいただきありがとうございました。

旅の情報
荒神社(立里荒神) こうじんしゃ (たてりこうじん) 鎮座地 奈良県吉野郡野迫川村池津川荒神岳347
参籠所(宿泊施設)予約電話番号 0747-37-2417
南海電鉄高野山駅より急行バスにて約60分
1日2便のバスは電話による予約制です⭐️電話番号0736-56-2250
時刻表など詳細はコチラ