Takako です。以前『大地と女性性』というお題のネット上の記事がやたら目についた時期がありました。「大地と女性性」の関係には興味があったため、それら記事を見てみると”セクシュアリティと言うよりは単にアッチ”のことばかり。それらにはわたしが求めていたものは全くなく、がっかりした気分だったのを覚えています。

しかし!本当に、求めれば与えられるもので。王由衣さんとおっしゃるヒーリングスクールの校長先生が、まさに「大地と女性性」についての一時間にわたる録音講義を一般に無料公開されていたのをたまたま見つけました。なお、王さんは、バーバラ・アン・ブレナン博士の世界的ベストセラー、『光の手』というヒーリングの本の続編の『癒しの光』を翻訳された方です。

Takako
以下、レクチャーで特に響いたところの断片を、Takakoスタイルでご紹介いたします。読んで頂きやすいよう流れや言葉使いを変えている箇所もあります。王先生オリジナル録音講義は、当然この記事よりもっと広範に語っておられますので興味のある方は是非、↑のリンクからお聞きください。
「女性性とは何か」ということについて、一番の根っこである自分という全存在を固めていかないと、いつまでたっても力を発揮できない。このテーマは、掘り出すと色んな側面をはらんでいるが、何よりもまず、ポジティブな形で土台を固めておきたい。そして精神よりも先に、身体から根っこができると考えている。

今の日本では見いだせない知恵や伝統を、北米の先住部族は精神的にも身体的にもなんとか保っているため、それをひかせてもらう。日本にも天照大神という女性性があり、ルーツ的にたどっていけば先住部族はモンゴロイドともつながっているので、全く違うところからのものではない。

まず、女性の体と周期、自然のサイクルは今の日本ではスッパリ切り離されているということ。女性は本来は、大地と深くつながっているものだ。それは、月経というものがあるからで、初潮が始まってから数十年間毎月、血液を大地に返すことによって自らを浄化し、大地とつながっている。

人生には段階があって、女性の場合は分かりやすい。まず誕生後は母親などに庇護され、一人では生きてはいけない時代。その後、初潮が始まり大人の女性となり、人によっては子供を産む。閉経後はヴィジョンを高く掲げ、部族の女たちのリーダー、知恵ある長老(賢女)として生きていく。

初潮により、女性のコミュニティの一員になるという認識を持つことになる。母親など女性の家族から「大人になっていくとはどういうことか」を身体的な生理のプロセスや象徴的な意味合いを踏まえ教えてもらう。これからの人生、いかに自分を大切にして生きていくかということが大人として始まることなのに日本ではその教育が欠けているため、健全な自尊心を育むことが難しくなっている。初潮が始まる時はチャクラでいえばハートチャクラが開いていく時点でもあり、いのちを宿して育んでいくことを10代のころに受け止めていくことで、その後の人生がどれだけ安定したものになるか。これを飛ばしてしまうと、後々自己価値の低さから投げやりな生き方になってしまったり、男性に気に入られなければ生きていけないと信じてしまったりする。

女性は月の女神の加護を受けているため、生理のサイクルは新月で始まって満月で排卵するようにできている。そのため健康であればみんな同時期に生理になるものだ。先住部族の間では、生理の時期は最も女性の力がパワフルになる時期であり、この特別なパワーが損なわれたりすることのないよう、女たちはムーンロッジという特別な小屋に集まる。このことからも元々生理は、自分の身体と自然のサイクルの一致により起こるもので、自然の流れに添うことでホルモンのバランスも整っていた。今でいう生理困難というのはやはり自然の流れに逆らっていると言えるのではないか。

子供を産むことについて、過去の時代背景では子供を産むということが重要であるとされてきたが、現代では文字通り子供を産みだすだけでなく、創造的なものを生み出して社会に貢献するオプションが広がっているのも事実としてある。

エネルギー的にいうと男女共足の裏からエネルギーを汲み上げているが、女性の場合は第1、第2チャクラにそのエネルギーが止められ排卵がおこり、受胎が起きなかった時は生理の血液を流し大地にエネルギーを返すというサイクルになっている。生理が終わると、今まで第1、第2チャクラあたりで止まっていた大地からのエネルギーを、ぐっと吸い上げることができるようになるため、エネルギーはクンダリーニを通って上にあがっていく。このプロセスがいわゆるホットフラッシュと呼ばれるものである。部族であればそのエネルギーを散らさず、第4、5、6、7へのチャクラの通路を開いて、理想的には第三の目を開くことに使われる。伝統的な文化において、霊媒や巫女、シャーマン等が年配の女性だったというのは、第三の目が開いていたからだ。この仕組みに気づいてエネルギーを効率良く使えるようになれば、確実に目に見えない世界へも近づくし、その頃には願わくは人生経験も積んでいるので、良い教師、霊媒、精神的指導者になる道へ進む。先住部族の集落ではこのような生き方がごく自然であった。月に祈る時もまずグランドマザーから始め、マザー、それから娘たちへと厳格な順番があった。そんな『賢女』のような存在が、日本のコミュニティでも必要だと考えている。

翻って、今の日本は年配の人を大事にしているというより、弱者扱いし切り捨てている。そこには『知恵ある賢者』の威厳など無い。働いて結婚し、家を建てて足腰が立たなくなること(苦笑)を想定し、介護されるのも想定内。それで年をとることが楽しくなることはないだろう。先住部族の中では60過ぎてようやく一人前。身体的にもかくしゃくとして30,40にびしっと指導するということが、昔の日本にもあったはずなのに、物質文明の影響で今の状況になっている。年を取り、自分だけはかくしゃくとしていているのに周りはみんな介護(苦笑)だと困るよね。身体のケアを賢明に行って、長く強く生き、後から来る世代を責任をもって導いてやることが本来あるべき姿ではないか。

そして王さんは、ご自分が影響を受けたという、19世紀後半のイギリスの精神的な教師、
ディオン・フォーチュンの言葉を引用しています。

変動期には、多くの女性たちはこの人生では子供を産まない。なぜなら、時代が変わることを支えるために”産まない”と決めてきた人が大量に増えるからだ。古い集団無意識による価値観にはなかったことだが、子供を産まないことにより(エネルギーを蓄え)新しい時代を支えていく。そしてむしろ、後に続く子供たちのための世界の母として、守るべきものを自分のふところに受け入れるのだ。祈って、何ができるかと考える。いのちを守って、育むのである。

自分がどういう風に母親から育てられたか。わたし達の多くは「母親の言っていたこと」を無意識に身体に沁みこませている。そして自分の娘にも「母親が言っていたこと」を教え込む。そういった無意識のレベルに気づいて『違う』と感じることがあればそこから変化は始まっていく。事実として自分の選んだ道を意識的に生きることで、後から来る女の子たちのお荷物を減らしてあげよう。すると自由に生きることがラクになる。一人ひとりの女性が自分の足で立つ、起きた変化というのは日本の集団深層意識に影響を与えていく。母なる大地がもっている全ての力を使って全ての生命を尊び、世界の母となる。
自分自身を内側から支え、ここからの人生が本当に実りのある良いものになりますよう。

Takako のコメント
わたしは、中学生のころ『誕生→教育→(就職)→結婚→(育児)』が日本おススメ人生コースで、それ以外のことをすると、“外れ者”と見做され、もうレールには戻れないのだと気づき、それをエッセイ(作文やけど(笑))にしました。すると、担当の女性の国語の先生から、『そんなに若いのに深い!どうぞ素敵な、ひらがなの「おんな」になってくださいね』と赤ペンのコメントをいただいたのです。(そんなうれしくも素晴らしいコメントを生徒にくれた先生もまた、自由な感覚の人だったんだわ!)八田先生のお名前もすっかり忘れていた気がしていたのに、この記事を書いていると突然思い出しました。

で、その人生コースに、近年新たに【介護】が加わったと感じていたのです。もちろん、介護システム自体はいいのだろうけど、何か、どうしても【介護されることが外せない、というか、みんなが行くから自分も行かなければ、みたいな、介護が人生の最終目的、介護されて当たり前】という集団意識が日本の常識としてある。そこには、できるだけ自分の力で健康に(これはわたしも長年研究し実践してきたテーマなので、折をみてまた記事を書きたいと想っているのですが)という意識が欠けている…と考えていたら、時をおいて王先生が指摘されているのを聴く機会に恵まれ、力を得た感じで大きく頷きました。

まだまだ沢山語っておられるこの録音講義へのリンクは、本記事の上のほうでご紹介しております。が、最近、メインのホームページを大幅にリニューアルされ、ブログのほうは継続されるのかどうか、ちょっと見当がつきません。ですので、ご興味がわいた方はどうぞお早めに聴講されてくださいませ。