Takakoです。『自分自身とつながるために、毎瞬毎瞬新しい自分を探す〜マインドフル・ウォーク」で、歩くことに関して半ば強制的に痛みと向き合わされることになったことをお伝えしていました。同記事で、この経験がより深く”マインドフルに”自分の気づきにつながっていくことを予感していましたが、それがズバリ(笑)的中!先日の「はじめてのマインドフルネス」講座は『歩行瞑想を通して「気づく」ということ』がテーマで、ワークとして数種類の歩行瞑想を教えていただきました。
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歩く歩く歩く歩く
最初の歩行瞑想では「歩く歩く歩く歩く」と唱えながら歩きました。このやり方はヴィパッサナ瞑想的に「歩く」というラベリングを行うというものでした。過去わたしが実践して来たヴィパサナ瞑想ではラベリングを用いない方のものだったので、ラベリング初体験。5分間そうやって歩いてみた感想は、脳の指令により足が動く、つまり足にはなんの意図もなく、言われた通り動いているだけという感覚がありました。
右足を上げて(地面に)着ける、左足を上げて(地面に)着ける
次の歩行ではラベリングを細かくします。右足を上げて着ける、左足を上げて着けるという言葉と動作を一致させつつ歩くというもの。これは最初はどうしても足が先に動いてしまいます。つまり、身体に言葉が追いつかないのです。それで、言葉を先に出すよう歩くスピードを抑えて実践してみました。すると今度は、足に脳があるかのように足が感じていることが細やかに伝わって来ました。それだけではなく、先の方法では分断していた脳と足が繋がった感覚が芽生えました。
言語化せずにただ観て歩く(身体優先)
これはね〜。先生の指示とはちょっと違うやり方を試してみました。「身体は、どうしたいのか」がテーマです。つまり、言語(ラベリング)の介在による”脳からの指令”を”無”にして『歩く」という動作の起源というか、始まりから身体に任せてみようとしたんですね。いま振り返ってみれば、自分的には脳と足の関係を探るのではなく、魂と肉体レベルのトライアル。すると、歩けないんです!(どうやって歩くの?どうすんの?どうしたいの?)と意識は?????で、それを愉しむ、魂の乗り物としての肉体の操縦席にちょこんと座って眺める小さなわたしがいました。からだは、しばらくジリジリ動こうとしているのですが、なかなかスタートを切るタイミングが掴めないようで。で、ワークの時間が5分間と限られているのでエゴとしてのわたしがエイヤっと動かすというお手伝い(苦笑)をして、(これはダウジングでペンデュラムが動かないときに景気付け?でやっちゃうのと同じです)やっと動きに入りました。あとは「からだにお任せ」です。ダダダっと体重をかけて進んだり立ち止まったり。まっすぐに美しく歩く、ということからはかけ離れた、一応、脳の意図から解き放たれた動き。リズムも整合性も無いように思えるけれど、ホントはあるんだろうな、とか、考えてみればしょっちゅう「移行期」や「変容」がやって来ているわたしが、”そこ”に一歩、大きく踏み出せないでいることを、からだは知っているのかな、など感じてとても興味深い時間でした。
擬音語と共に歩く(タイ仏教スタイル)
これはパッパッパやスーなど擬音語と共に歩く瞑想です。上記二つは意味のある言葉でしたが、今回は意味のない音。これも、擬音語を変えると歩行の感覚が確かに違っていて五感というものが洗練された統合であることを実感しましたし、言霊というか、自分が普段発する言葉にも本当に気をつけたいと思いました。
横隔膜に両手を重ねる、お坊さん歩き
最後はお坊さんがよくされている、両手をみぞおち周辺に重ねておく形をとった歩行です。これは素晴らしかった!俯瞰(パノラマ)型瞑想の究極の形かもしれません。集中しているのだけれど同時に周りにも感覚を伸ばしている。開いている。そしてどこに行こうが自分は自分の中心にいる。大丈夫。わたしがついているから。わたしを信頼してください、と自分からの暖かい声が聴こえました。
横隔膜は、例えば痛みが襲って来たときに息が止まることでわかるように、何かを感じなくしたり、我慢したり、抑圧するときに真っ先に使われるところだそうです。それは外部を遮断すると言い換えることもできますね。そして恐らく、”戦うか逃げるか反応”という身体の防衛機能とも関連している重要な役目を担っています。一方、お坊さんたちはこの横隔膜が揺れるように歩くそうで、そのことは顕在意識と潜在意識の架け橋である呼吸とももちろん、大きく関わっているのでしょう。
また、横隔膜のあるところは第三チャクラの場所でもあります。そして第三チャクラは自在神(ハイヤーセルフ)の居るところ。実は最近、朝の瞑想時に何となく両手をその場所に重ねていたのですが、これにも大切な意味があった、と受け取りました。
普段の生活でもかんたんに取り入れることができる、歩行瞑想。ぜひ、トライしてみてください!
本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。