自分自身とつながるために、毎瞬毎瞬 新しい自分を探す~マインドフル・ウォーク

Takakoです。皆さまは普段歩く際にどんなことを考えておられますか?歩く場所により、繁華街なら何か面白そうなものや美味しそうなものはないか、お仕事なら今日の予定、それともぶらぶら歩きつつ道端の小さな花に目を留める…と、わたしは大体こんな感じです。で、そうしながらも『この靴、何か歩きにくくなったな。わたしの重心のバランス、最近ちょっと狂ってるのかな』など、同時に複数の雑念レベルの思考が浮かびます。

マインドフル・ウォークを強いられるの巻
今回のわたしの場合、まさにその『バランス』への注意喚起が”お知らせ”だったようで、1,2日後に右足小指の付け根に小さな傷を作ってしまったのです。そのままでは痛いので保護するための絆創膏を貼りましたが、あの薄い絆創膏の厚みでバランスが余計に崩れ、歩く痛み倍増(泣)。せめて体重からの負担を減らそうと、親指に重心をおいて歩くと同時に、左足に主導権を渡そうと試みていました。【いかに痛くなく歩くか】が至上の命題となり、それからは毎日の歩行が”歩く禅”、そう、この記事のタイトルにもあるマインドフル・ウォークの実践また実践となりました。それが功を奏し、最初の2,3日で違和感を感じつつも”痛くて歩けない”ほどではない程度にまで回復しましたが喜んだのもつかの間。4日目の朝、足の親指から甲付近に痛みが走りました。いつもは使わない筋肉や腱、筋膜などが悲鳴を上げていたのです。それからは足の裏にある3つの重心点、足指の動きや体重移動による感覚を頭でなくひたすら身体で捉えようとする毎日。そうやって足とコミュニケーションしつつもフォーカスしすぎないように、足は、いえ脚はどこから始まっているのかを再認識したのです。脚は、太ももの付け根から足の裏までではなく、みぞおちの下あたりにある大腰筋から始まっていることを意識しながら歩く。それは、爽やかな風のようなリマインダでした。これで心の視点も俯瞰方向へシフトできそう。実は、近ごろ思考優先で、身体の知性に注意を払うことがすっかりおろそかになっていたわたし。就寝前の儀式にしていた、アーユールヴェーダの薬草セサミオイルを足の裏に擦り込むこと(これは浄化と滋養のために。とてもいいですよ。おススメです。)もすっかり忘れられていて大反省。しかもこの一件で骨盤も歪んでしまい(汗)→これは駆け込み寺的存在の代替療法家の先生にケアして頂き元通り(スマイル)。
マインドフルネスは“いま、ここ”
マインドフルネスは“いま、ここ”。日本マインドフルネス学会の定義によれば、“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” です。 なお、“観る”は、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味だとのこと。それは、毎瞬毎瞬、新しい自分を探す作業です。また、歩くことなど動きの実践だけでなく、たとえば他者との関係性により「自分と違う個性」に出逢い、それまで全く無意識だった自分のことが浮き彫りになると『ああ、わたしって、こんなところがある人だったんだ』と気づきますよね。それは最初、個々に現れるけれど、一つひとつ受け入れていくことで自分に対する理解も進み、だんだん点から線へと統合していくことでしょう。それら全てが、本当のわたし達を想い出すことにつながっていきますように。
追記
最後に。この4月から関西大学准教授の小室弘毅先生による【はじめてのマインドフルネス】講座(@毎日文化センター)を受けています。奇しくも講座の予習となったウォーキング。ちなみに、小指側の傷自体はほどなく完治しました。が、足の甲はまだまだわたしに、マインドフルネスの実践を呼び掛けているようで…(笑)でもね。左右の足の親指の爪の色。左足は普通に桜色なのですが、右足は何をしようがずっと暗いトーンだったんです。でも!このマインドフル・ウォークのお蔭で右足の血色が戻り左右均等になりました!(驚喜)この左右差、弱い左足をかばおうと右足ががんばり過ぎていたのかも。それとも…右足を左足のペースに合わせて”ゆっくり生きる”ことが望まれているのかも!? わたしは、まだ道半ば。身体と心と魂のつながりに興味がつきません。

本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。

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