Takakoです。「愛とはなにか」いよいよ最終章です。バーソロミュー氏のこの本はどの箇所も叡智に満ち溢れていて、どの部分を引用するか迷いました。本日の記事も長めになってしまいましたが、もっとご紹介したい気持ちです。気になった方はどうぞ実際に書籍を手に取ってみてくださいませ。
今日から、あなたは愛のエネルギーに気づくことができます。しかし、それは意識的な努力で始められなければなりません。そうする決心をしなければなりません。愛に心を集中しようとしていますか。それとも、自分が愛情に欠けた人間であるとか、愛すべき人間でないとか、愛について頭であれこれ考え始めるのでしょうか 。あなたが自分をどんな人間だと思っているかは、全く関係ないことです。誰でもいつでもこのエネルギーを感じることができますし、それを強化し、それとともに動き、それとともに変わることができます。あなた方にちょっとした実験をやっていただきたいと思います。心を静め、ピンクという色に全身全霊をこめて集中してください。ピンク色がハートのセンタ ーをダイナミックに満たしていく様子を心に描き、その輝きを味わってください。歩いているときに、それを感じてください。すわっているときにも感じてください。人と話しているときにもそれを感じてください。とにかくいつでもそれを感じてください。それに寄り添ってください。そのすばらしさを感じてください。そうしていると、突然あなたは生き生きし始めます。文字通り、生き生きし始め、輝き始めて、すばらしい気分になります。そして。今度は悩みがないことを心配し始めるかもしれません 。朝起きたら幸せな気分がするでしょう 。
愛は自然なことです 。自分の自然な状態に抵抗しようとすると エネルギ ーがいります 。ですから、自分のすべての悩みを 今はちょっとそのままにしておいてください 。何らかの不安を感じていない人はいません 。人間として当然のことです 。けれども 、今はそれをわきにおいて 、放っておいてください 。愛の動きを感じるようにしてください 。自分のまわりのものや人々に対する自分の見方が変わり始めると 、あなたは幸せに感じるでしょう 。しかし 何よりも 、自分が愛のパワ ーを放つ境地に入れたということをうれしく感じるはずです。 他人があなたを愛してくれるかどうかは 、問題ではなくなります 。あなた自身が愛に満ちているのですから 。そうすると 、他人があなたの思い通りにしてくれなくてもよくなります 。人は 、思いのまま自由に 、生き生きとすばらしく生きていればよいのだし 、あなたも他人がそうすることを受け入れられます 。あなたには怖れがないのですから 、そうできます 。人は愛を失うことを怖れて 、相手にしがみつきます 。けれども 、愛を失うことなどできない 、とやがてわかります 。
愛はあなたのなかを流れ動くものだとしたら 、誰がそれをあなたから奪えるのでしょうか 。愛は与えれば与えるほど 、増えていきます 。愛は人間にとって 、不自然な状態ではありません 。自分を愛してくれるように人を仕向けるとき 、それが不自然になります 。そのやり方はよくありません 。あなたを愛するのは 、彼らの責任ではありません 。あなたを愛するのは 、あなた自身の責任です 。これは傲慢な意味で言っているのではありません 。エゴはあなたに 、自分を愛するのは傲慢なことだと感じさせたがります。けれども、自分自身を愛するまでは、他人を愛することはできないのです 。もちろん 、愛するふりをすることはできます 。人に気に入られるために 、自分を赤から緑へ 、そしてオレンジ色へ 、紫へと変えることはできます 。そういうあなたは 、愛に満ちているように見えるでしょう 。けれども 、あなたが緑でいたいときに 、人があなたに黒であってほしいと言ったらどうするのですか 。では愛はいったいどこにあるのでしょうか 。
愛はあなたの内にあって 洪水のように流れ出てくるものです 。愛は 、他人が楽しむことができる不思議な魅力を持ったものでもあるのです 。そして、その状態になると、パラドックスが起こります。あなたは全く何も気にならなくなるのです。自分の家に一人でいるときにも、人に囲まれているときにも 、同じだけの愛があるようになります。愛はあなたの内部にあるのですから 、人がいてもいなくても 、どちらでもかまわないのです。あなたがいるところには、どこでも愛があるのです。あなたの愛を分かち合う人が一緒にいるのもけっこう、誰もいなくてもかまわないのです。愛はそんなことにかまわず存在しつづけます。あなたは植物を愛し 、石を愛し、何でも愛します。不安もなければ、イライラもなく、要求もなければ、期待もありません。何を期待するというのでしょう ?人に期待するのは、相手を自分の思い通りにするためです。期待は 「私の要求をかなえて 」と言います。しかし、愛ならばこう言います。 「あなた自身の必要を満たしてください。私は満足していますし 、何も不足していません 。私が持っているものすべてを 、あなたと分かち合いましょう。欲しければ 、お取りください 。いらなければ 、そのままにしてください 。私は愛です 。何も期待しません 。」
そうした境地になることは 、夢でも単なる空想でもありません 。それは一つの可能性であり 、今 、可能なことです 。しかも 、そんなにむずかしいことではありません 。問題は 、そのためにどれだけの時間を費やす気があるか 、ということにすぎません 。 〝大いなる愛 〟はすでに豊富に存在するのですから 、それに加わることもできますし 、愛が欠けていると嘆いて 、ときを過ごすこともできます 。それはあなたしだいです 。ここで強調しておきたいのは 、この地球界に生きている人で 、愛することができない人はいないということです 。自分を 、人を愛せない 「冷たい 」人間だと見なすことに 、喜びを見いだしているのでしたら 、そして 、自分のことを冷たい人間だと思ってきたのでしたら 、自分を愛情豊かな人間だと見なすように変わらなければなりません 。これまでのあなたの人生ゲ ームは 、人を愛せない人間として自分を見なすことによって成り立ってきたのですから 、これはむずかしいことです 。
これまで自分を内側から突き動かしてきたのは 、どんな自己像なのかに注意を払ってください 。自分を 、強くて大胆で有能で愛情深く 、知的でユ ーモアのセンスに富んだ人間だと思っていますか 。思っていませんね 。なぜでしょうか 。これらの性質のすべては 、あなたが持っていてもよいものです 。あなたは 、自分を哀れみ 、心配性で不安に満ちて 、気が小さい神経質な人間だと思っていますか 。その通りですね ?親は 、よく子供に向かってそんなことを言います 。親が子供に向かって 、いかにおまえは弱いかと言いつづけると 、子供はそれを信じ始め 、言われた通りの人間になります 。しかし 、弱さを主張するそのような言葉に 、真実はありません 。あなたは 、自分が動くエネルギ ーだということを知らないので 、混乱しているのです 。人間は 、動くエネルギ ーの周波数帯でできています 。その周波数帯の一つが 「愛 」と呼ばれるものです 。それを稼働させ 、自分を愛してください 。何もしないと 、何も変わりません 。くり返しますが 、自分以外の誰かを最初に選んで 、「あの人を愛する 」と決めたりしないでください 。愛する対象として選ぶべきなのは あなた自身です 。
最後に。Takako的に感じるのは、ちょっと前の自分も含め、これらを読んで、納得して、それで良かった!となる場合が多いだろうなと。ヨガやスピリチュアルな学びにおいては「気づく」だけでいいんです!みたいなことを仰る先生も割といらっしゃいます。確かに学び始めた時は、いくつもの「気づき」を得て、少しは自分が深まったような気がしたりするものです。そして、わたしもそうだったのですが、そんな小さな気づきが”いつかは”大きな恩寵として現れるとゆるく期待をかけているひとも多いんじゃないかな。
でもね。実際、それら小さな気づきが自然に大きな恵みとして表出することはまずありません。第一に、本人がそこまで大きな恵みを望んでいないから。なぜなら、現実世界を生きるのに忙しすぎる、何となく今の自分に不満もあるけど、それなりに満足している(もしくは『自分はこんなもの』と制限をかけている)かもしれないし。大きな恵みを得るには、やはりかなり自分にチャレンジングでいるといった姿勢が必要かと、そしてそれを鍛錬や修練と呼ぶのかと思います。本で得た知識は、実践を通して完全に腑に落とさなければ”ほんとうにわかった”ことにはなりません。それは、本当に大きな大きな仕事となります。…だからこそ、バーソロミューやオリン&ダベン(例えばわたしのお薦めは『リヴィング・ウィズ・ジョイ―オリンが語るパーソナル・パワーとスピリチュアルな変容への鍵(25周年記念改訂版) 』)などの古典的名作を始め、より親しみやすい似たような内容の本が続々と出版されるのかなと思います。わからない…難しい…だから、より理解しやすい本を求める…。わかります!その気持ち!
本当に、書籍から学ぶことはたくさんあり、だからこそわたしも色々集めてはいます。しかし、大切なのは知識と実践を通して魂に近づくこと。そして、実践とは仕事でも家事でも、ヨガでもダンスでも、そして王道の自己探求ワークでも、それが何であれ「道」や「真理」に近づくほどに打ち込むことだと、僭越ながら敢えてお伝えさせていただきますよ。 ああ、道は遠い。けれど、この不完全な自分の中に完全を見いだし、プロセスを楽しんでいきたいと思っています。
本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。