Takako です。【あなたが思い描くことがあなたの現実になる】とはよく言われることですよね。わたし自身、振り返ってみれば良くも悪くもそうだったと実感しています。その法則を逆に利用したと思われる【望む未来や”結果”を引き寄せるために思考のパワーという”原因”を使う】何百もの自己啓発系セミナーが毎日世界中で開催されているようです。そう言えば4,5年前、久しぶりに大型書店に入ったら自己啓発訳本でいっぱいで驚いたのを覚えていますが『こうすればいい』と教えてもらっても、なかなか上手くいかないのが一般的な現実のようで(だから同じような内容の本やセミナーが売れるのかな)。自分自身で言えば結局のところ、望んでいたけれど今の時点で叶っていないことは「欲しい欲しいと願いながら、実はそこまで欲しいものではなかった」か、「欲しいと真剣に思っていたけれど、自分には必要のないものだった」かのどちらかに当てはまっているような気がしています。
以前、知人で『今の仕事の状況を何とかしたい』といつも嘆いている人がいました。その人は見たところ能力はありそうなのに”なぜ”か不遇で、わたしも『”なぜ”だろう』と想い、時おり話を聴いたりしていましたが、ある日とうとう、”なぜ浮上できないか”の理由が透けて視えたのです。その人のこころの奥底は「好きなことだけしたい。できれば働かずに楽したい。」ということ。いえ、ぶっちゃけ、程度の差はあれそういうことは誰にでもあると思うので、特にこの人を糾弾しているわけではありません。そしてこれも起こりがちのことですが、それを支える究極のベースは「ひどい状況や場所でも、結局いまが心地いい」でした。なるほど。すごく合点がいきました。
一般的に「なぜ、今の自分(状況ではなく、あくまで自分です。)はこうなのか。この痛い経験にも意味があるはず。」と考え行動するのではなく、それを流したり受け入れることにより、ある一定のパターンに陥っていきがちです。そのパターンが繰り返されるほど自意識は麻痺し、”自分はこれでいい(こんなもの)”と無意識に思うか、変わることや挑戦して負けることへの恐怖心が肥大していくか。それとも自分より弱い者を見つけてみんなに見えないところでいじめることで鬱憤を晴らすか(自己愛性人格障害やエナジーバンパイヤなど)。言い換えれば、自分自身に本気でコミットしていないので、宇宙はそのまま、その人の望むことを引き寄せてくれているということ。この件だけでなく、他にも数人、言ってることとやってることが極端に違う人や、他人を批判するも、まさに自分も同じことをやっていることに気づいていない【自己矛盾】した人々と関わる機会があり『とってもインテリなのに(そんな人は他人のことは良く見抜いてるので)、自分のことは全く気づいてないって、マジですか!?』と驚愕したものです。そして、わたしの見る限り、このひとたちは決して自分を幸せにはしていないのです。「自分は間違ってない」と、表面的にはそれを固持し他者を突っぱねつつ、影の部分を意識化できないモヤモヤがある。
たとえば、誰かに自分の行動や性格について指摘されたとしましょう。それに対して腹を立てるのは、言われたことが図星だから、ですよね。もしそうでなければ ”ああ、この人は私のことをそういう風に見てるんだ。”とスルーできるでしょう。でも図星だったら。とる方策は三つ。①自分を正当化し、言ってきた相手が悪いことにする。②飽きるまで怒りつづけるかへこみ続ける→そして忘れる。もっと性格が悪いと逆切れし、恨み骨髄になっちゃう(怖すぎ)。③「ソコ」に(少しでも、トコトンでも)向き合ってみる。→改善を試みる。指摘してくれてありがとうと想う。
ご想像の通り、普通ひとは何気に①か②を採用します。でも上の例を考えてみてください。パターンに嵌まればハマるほど、抜けづらくなるよ。それで、わたしは③こそ、内なる光をみつけてつながっていくための方法のひとつだと考えているんです。そうか、わたしの癖、また出たんだね。わたし、またイライラしてる。じゃあどうすればいいのかな?なぜ、わたしはこんな風にしてしまうんだろう。それはたとえば、○○先生に前世を視てもらって今生の課題を聞くよりずっと地味な作業です。時間もかかります。でも、最終的にブレイクスルーが訪れた時、それまでのプロセスがあなただけの、かけがえのない宝になることに気がついて欲しい。そしてこの作業を繰り返していくことで【自己矛盾】はなくなっていき、光に包まれた、あなたが理想としていた完璧なあなた自身と出会えることでしょう。そうすると「引き寄せ系」に行かなくてもあなた自身がそれを体現されることになりはしませんか。(この時点で、もうこんなことは意識にないと想像しますが)宇宙からの贈り物も自ずと変わってくるかと。わたしも練習中です。いっしょにチャレンジされてみませんか?
ダニオン・ブリンクリーさんは、三度の臨死体験から得たことを、おおらかに書いてくださっています。同氏によると三度目の臨死体験ではいわゆる地獄を見たとか。わたしにとって金字塔的存在の、ルドルフ・シュタイナー著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』にも同様のことが記載されていましたが、こちらはずっとマイルドな表現で入ってきやすいかと思います。以下、今日の話題と重なる部分を引用しましたので、ご興味があれば是非、お読みください。
肉体を持たずに二つの世界の間を絶望してさまよっている魂にとって、人生は喜びのない戦いだ。このさまざまなところから来た魂の集団は、人生に悲観的な見通しを持つことで霊的にひとつになっている。絶え間なく皮肉や無気力や裏切られたという気持ちとともに自分自身の幸福への責任放棄を態度に示している。地上で肉体をもっていた間は生きることへの情熱を捨て、自分を完全にしてくれる霊的アイデンティティーの探究を拒絶すると決めたのだ。いずれにしても、彼らは死ぬはるか前に生きるのをやめていた。逆説的だが、死に際しても、彼らは命の贈り物を拒んだのだ。わたしの考えでは、何世紀にもわたって記録されている幽霊のような異常者や幽霊そのものの出没は、あの閉じ込められていた魂のせいに違いない。自ら選んだ否定的態度の破壊性にとらわれて、彼らは過去の人生のパターンを果てしなく反復し、結局どこにも辿り着かない。それでも彼らを思うとわたしの胸は痛む。彼らは今のむなしい状態を手放し、光の中で真実の安らぎを得ることができるのだ。もしあなたがたった一つ天国からの教訓を心に留めることができるなら、これにしてほしい。「わたしたちの思いが態度を作り、その思いと態度がわたしたちの経験するー現世と来世両方のー人生の質をつくり出すのだ。」『光の秘密 天国からのレッスン』ダニオン・ブリンクリー&キャスリン・ブリンクリー著 より。
本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。