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Takakoです。2015年夏、ちょうど今頃、わたしは米国オレゴン州にあるリード大学にいました。ここは2011年に亡くなったアップルの創業者スティーブ・ジョブズの出身校だそうです。滞在の目的はBody-Mind Centering®というソマティック団体の2015年北米コンファレンスに参加することでした。

創始者のBonnie Bainbridge Cohen さんを始め、BMCの講師陣による「Body as Ecosystem(生態系としての身体)」をテーマとした、数々のワークショップがここで開催されたのですが、講師だけでなく参加者の方々が大学教授、心理学者やセラピスト、またユダヤ教のラビでダンサーの方など各界のスペシャリストばかり。そんな人々の、各ワークショップの合間や終了後のコメントはディープな上、大変率直で興味深く、それだけでもレベル高っ!素晴らしい!と、大いに啓発されたのを覚えています。

さて、オープニングセレモニーの後の、Bonnieさんの全員参加ワークショップのお題は「前庭器官」。そう、内耳器官の蝸牛と三半規管の間にあるものです。前庭器官は、身体の直線運動を感じる働きがあり、それにより身体のバランスをとる役目をしていること、わたし達の身体と空間の関連性など、色々お話があった後、BMCお家芸?の「探究」タイムが始まりました。この探究の目的は、(多分)理想的にはEmbodiment(自分自身を前庭器官化すること)により心身一如を目指すことだと捉えています。大体20分間程度、寝転んだり動いたり、声を出したり、踊ったり、各自のやり方で自由に自分自身を瞑想し発見していく時間。

そこでわたしは「聴覚」や「前庭器官」になりきるため指で耳を塞いで言葉を発してみました。そしてほぼ自分の声だけが聴こえる状況で、その場で身体を揺らしつつ同じ動作を続けていると、突然、人生で初めて自分の声を聴いて【この声、キライ】と感じた幼い子どもの自分を感じたのです。もっと深く探っていくと、その子が自分の奥の奥の奥のほうにいることがわかりました。その瞬間、自分で感じたのでもなく、でもハッキリ上の存在から言われたのでもない、つまりどこから湧いてきたのかが分からないけれど、とても明確な気づきに圧倒されました。こんな小さい時にわたしは、自分を嫌いだと思った。自分に嫌われたわたしの中の幼い彼女は途方に暮れて、居場所がなくて、怖くて動けず座っていた。そして、今、大人のわたしが、単に自分の声が嫌いという理由で自分自身に辛くあたり、許さないでいること。また、許されないでいること。それらがために、子どものわたしと大人のわたしは分離していること。そんな想いが怒涛のように押し寄せて、そして何かがストンと腑に落ちたような気がしました。【だからわたしは、ほんとうの意味で自分を愛し、大切にすることが出来ていないのだと。】そしてほんのりスポットライトが当たっている、その小さな女の子を抱き上げ、抱きしめ、あたたか~い一体感に包まれたのです。それは、気づきの至福の時間でした。

聞いてみると、ご自分の声が嫌いという方は結構多いです。そしてそれが、わたしのように「自覚していないけど実は自分嫌い→自己評価低め」というふうにつながってしまっていることもあるかもしれません。そして自己評価が低いと「どうせこんなもの」など、人生の可能性を自ら狭めてしまうことにもなりかねません。こんなにも自分の根本とつながっているわたし達自身の声。それに自ら気づくようにわたしの中の空間を広げ、歩むべき方向を示してくれた前庭器官(何かマニアックな表現ですみません・汗)、そしてそれらを統合するわたしという身体と心と魂は、疑いもなく全てとつながっています。セラピー等に通って助けてもらうのもいいかもだけど、わたしはこんな、自然発生的で思いもかけずハラリと舞い降りてくる、自分の本質からの気づきを、心の底から嬉しくありがたく頂き、大切にしているのです。

HELP !!! JUMP !!! 思考を超えるソマティクス

2017.08.07