Takakoです。わたしは昨夏からエネルギーワークのプラクティス(ミディアムシップ=チャネリングの要素がベースにあるもの)に取り組んでいます。そしてエネルギーワークでは、思考を手放すのはもちろんのこと、少なくとも身体を細胞レベルで感じることが出来るレベルが必要かと思っています。自分自身では、もともとヨガを長く実践してきたこともあり、まずは身体と心のつながりに深い興味を抱き楽しく探究を続けているのですが、特に最近では身体任せといいますか、身体にリードしてもらう瞑想的な動きやダンスが非常に心地良く、しばしば参加させてもらったり。そして身体に任せると、その日の調子が悪いところなどがかなり癒されたりと、自己ヒーリング効果をも実感。はい、マニアックです(笑)。さて、そんなわたしに、先日さらなる素晴らしい機会が訪れました。

皆さまは日本が生んだ世界レベルの実力の整体の天才(そしてこの方は、人間に対する卓見はもとより、現代でいうチャネリングの達人でした)の野口晴哉師の名前を聞かれたことがおありでしょうか。同師は「風邪の効用」「整体入門」など珠玉の名編を著し、後年は整体治療を止め、人間教育に心血を注がれたと聞いております。わたしは、その野口先生をもう長い間信奉していましたが、出口さん家もそうであるように、創始者亡き後、その弟子なり家族なりが全く同じことを指導できることはないため、その門を叩くことはありませんでした。が、まさに忘れた頃にふと、その野口先生のエッセンスを湛えた”先生”と出逢いまして、その教えを乞う事になりました。

野口先生と言えば「活元運動(自働運動)」の提唱者としても有名ですが、ひと口に言えば、思わずクシャミをしたり、アクビをしたり、無意識に痛いところを手で押えたりするように、体がひとりでに動いてしまう運動のことだそうです。これを先日、教室で練習させて頂く機会があり。先輩方は易々と無意識の身体の動きに任せておられます。わたしはその日、入門後2回めのチャレンジ。1回目はわずかに指が動いたらしいですが。…どうしたことでしょう!あることをきっかけに、わたしの身体が動き出しました!喩えていうなら、睡眠中にピクッとなる、あの動きがもっとダイナミックになる感じ。そして、ポカンとはしますが全く眠ってはいない意識状態で、身体が野生の勘を取り戻したかのように自分自身で動いてくれるのが面白~い!!!時間にして数分でしょうか。終わった後は身体がゆるんで、何とも爽やかな体感を得ました。そしてその夜は心地よく爆睡し、翌朝は身体も心も晴れ晴れと目覚めることが出来たのです。わたしはお陰様でまずまず元気なほうではありますが、この朝の瑞々しさに「健康」とは何と大らかな幸福感なのか、と感動しました。(自慢ですが!えへへ~!諸先輩方はこの活元運動が起こるまでに2~3年はかかったとのこと!わたしはヨガやソマティクスなど14、5年くらいボチボチ続けていますのでそのおかげかと思います。)★自分用メモ:「活元運動」は元々「霊動法」と呼ばれ、古神道に伝わる行法だったが、野口先生が宗教的な要素を取り払い「体の中にある自然の健康法」として提唱された。

個人的に、頭も身体も柔らかくある(ストレッチの柔軟性という意味ではありませんよ)のが理想で、やはり究極は「心身一如」ということが健康に大きく影響を与えていると考えています。最後に、野口先生ご本人によるお話をご紹介させて頂きます。
野口晴哉 (『月刊全生』平成十二年八月号「本来の体育」より)
昔の人はそれに怒るとか、泣くとか、騒ぐとか、声を出すとか、今我々が感情の動作だと思っているようなものも一緒にやっていたに違いない。振り御魂などという神道の行事がありますが、体中を揺すぶる、ダンスとかいうようなものは世界中にあって、それらはやはり体の活元運動的な要求で動くというその当人に合うような体育として行なわれていたのだと思うのです。体だけでなく、もっと全身的な運動だったに相違ない。だから古代の体を丈夫にするとか、体を清めるとかいう方法は、みな体を揺すぶって元気を出していた。穢れるというのは気が枯れるということで、活発に動き、気を清めれば元気になると考え、ダンスや何かのように元気に振る舞ったのだろうと思うのです。だから今の体育よりはもっと全身で揺すぶっていただろうと思う。

 活元運動にもしばしばそういう動作が表われるのです。わいわい泣いたら喘息がなくなってしまったという人もおりました。「泣きだめして喘息になっていたんだ」などと笑ったのですけれども、その人は子供の時から泣けなかったのだそうです。ともかく、泣いたり怒ったりすることもきっとそういう健康につながる動きなのです。だから活元運動の中にそういうものが出てくるように、昔の健康法はそういうものであったのであろうと思います。あまり知識で物事を考えすぎて、そして体の中にある自然の健康法というものを忘れてしまって、頭の中で健康を作ろうと思っていろいろな動作を工夫しだしたのですけれども、結局そういうことで体育としての体操は却って退歩してしまった。健康のために体操をするなどということは人間が知識でいろいろと考え出すずっと前からやっていたことなのです。

野口晴哉 (『健康生活の原理』全生社 九十四頁より)
活元運動とは、ひと口に言えば、思わずクシャミをしたり、アクビをしたり、無意識に痛いところを手で押えたりするように、体がひとりでに動いてしまう運動であります。

 一般に活元運動は、病気の治療法であるとか、健康法であるとかいうふうに解されているようですが、それはあくまでも結果でありまして、目的ではありません。体操とか体育とかいうと、意識して体を動かす面のことだけが認識されがちですが、われわれが生存を全うしていけるのは、意識して体を動かす運動よりも、無意識に行なってしまう運動の恩恵に浴していることのほうが大部分を占めているといえるのです。ですから、この無意識に行ってしまう錐体外路系の運動を積極的に訓練して、われわれの日常生活に活かしていきたいというのが、みなさんに活元運動をおすすめする所以なのであります。

 ご承知のように、人間の体の運動は、筋の張弛によって行われております。その筋にも、手とか足とかを意識して動かし得る随意筋と、心臓とか胃袋のようにわれわれの意志では動かすことのできない不随意筋とがあります。つまり意識して動く運動と、意識しないで動く運動と、この二つのものが重なって行われております。
意識しての運動は、左の頭で命令して右の体を動かし、右の頭で命令して左の体を動かしますが、この命令を伝えるのが生理学でいう〈錐体路〉であって、錐体路は後頭部で交叉しております。ですから、右の脳溢血を起こして錐体路が毀れると左の半身不随となり、左の脳溢血を起こすと右の半身不随となります。

 このような錐体路系の運動以外に、われわれが意識しないのに、行ってしまう運動があります。ビックリすると思わず体がすくむとか、冷や汗をかくとか、眼にゴミが入ると洗い流すために涙が出るとか、思わず顔が赤くなるとか、ともかく意識しないで動いてしまう体の動きはたくさんあります。それが、いわゆる錐体外路系による動きであって、われわれ人間生活には、この錐体外路系による運動が、きわめて重大な働きをもっているのであります。

 歩いていて、不意に片足を払われると転んでしまう。けれども、われわれは片足だけで立っていることができるし、片足飛びだってできるのです。ですから、不意に片足を払われても、反射的に片足だけで立っておれるのは外路系運動の準備がなされるからであります。

 このように人間の運動を観てまいりますと、日常生活の中で意識して行われている体の動きの大部分が、意識しない外路系運動の裏打ちによってなされているのであります。いや、意識による運動以上に、外路系運動のほうが大事な比重を占めているといえましょう。たとえば、外路系運動が鈍ってしまいますと、いくらゴルフを練習しても上達しないのです。ピアノでも、習字でも、踊りでも、同じです。錐体外路系による無意識の運動が健全になされていてこそ、はじめてそういう意識運動が思う如く行われるといえるのであります。

本日もお読みいただきありがとうございました。また、おつきあいくださいませ。

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